日本に「ビジネスと人権」を根付かせるー齊藤誠弁護士インタビュー(1)

更新日:2月12日

世界が着目するずっと前から日本で「ビジネスと人権」に取り組んできた一人の弁護士がいた。


 齊藤誠という弁護士を知っているだろうか?

 熊本松橋事件という冤罪事件で、30年間事件の真相に挑み続け、再審で逆転無罪を勝ち取った人権弁護士として、新聞やテレビで取り上げられたことで、知る人も多いかもしれない。一方、多くの企業が不祥事を起こした際に用いる日弁連「企業等不祥事における第三者委員会ガイドライン」を取りまとめた企業弁護士としての顔も持つ。

 ただ、彼のこれらの活躍は、彼の30年間以上にわたるライフワークである活動にすべてつながっている。現在、新疆ウイグル問題をめぐる米中対立、日本国内の外国人技能実習生制度、SDGs経営・ESG投融資などをめぐり、日本企業や社会の重点課題として着目されている「ビジネスと人権」に関する問題である。

 2011年に、国連で承認された「ビジネスと人権指導原則」(以下「指導原則」)は、企業に対し、企業活動の利害関係者(ステークホルダー)の人権への負の影響の評価・対処を求める「人権デュー・ディリジェンス」を求めている。指導原則が求める人権デュー・ディリジェンスの要素は、各国の法規制、調達基準、投融資の基準に組み込まれ、企業のSDGs経営やESG課題への対応を促す原動力にもなっている。齊藤弁護士は、この指導原則が承認される20年近く前から、「ビジネスと人権」の問題をライフワークとして取り組んできた。

 彼は、なぜ世界が注目する以前から日本で「ビジネスと人権」の問題に着目したのか?彼は、なぜ企業弁護士でも人権弁護士でもない「ビジネスと人権ロイヤー」を目指したのか?

齊藤弁護士のこれまでの生きざまを知ることで、日本企業や社会が長い間抱えてきた構造的な課題やその処方箋を垣間見ることができるかもしれない。また、時代の過渡期において存在意義が問われている弁護士のあり方を考えるきっかけになるかもしれない。

 こうして、今回、「ビジネスと人権」のパイオニアである齊藤誠弁護士に、「ビジネスと人権」黎明期における知られざるエピソードを含めて、インタビューを行うこととなった。

聞き手・ライター 高橋 大祐



インタビュー記事(1)「日本に「ビジネスと人権」を根付かせる」

(インタビュー記事(2)「「ビジネスと人権ロイヤー」という生き方」はこちら


ーー「ビジネスと人権」の問題に最初に取り組むようになったきっかけを教えてください。


 ビジネスと人権に関わる国際的な人権問題において、私の原点となるのは、マレーシアのボルネオ島サラワク州のウマバワンという先住民の村の人々であり、またパプアニューギニアのニューブリテン島のアミオ村の人たちです。

 私は1990年にサラワクの先住民の村を訪問する機会がありました。そこで出会ったのは熱帯雨林伐採に対して生活を守るために闘う現場の村人でした。サラワクの先住民の村人たちの熱帯雨林伐採に反対する運動は、地球環境破壊を守る闘いであり、同時にそれは村の人々の生活と人権を守る闘いでした。

 一方、1991年と1994年に訪問したパプアニューギニアでも、アミオ村の人たちは、熱帯雨林伐採による地域の環境破壊に苦しんでいる状況でした。当時このような状況は世界中至る所にあふれていました。

 ウマバワンの村人からは、環境を破壊して伐採された熱帯雨林は、主に日本においてコンクリートパネルになって浪費されていることを知りました。日本が海外において環境破壊・人権侵害の加害者となっているのに、日本人としてこの問題に取り組まないことは許されないと思いました。

 これらの問題をなんとかして解決する道筋を見つけたいというのが、私を企業による人権尊重の実現に突き動かした、私自身が体験した現場でありエネルギー源でした。



ーー熱帯雨林伐採への日本企業の関わりに関して問題提起するためにどのように行動をとったのですか?


 サラワクやパプアニューギニアへの訪問記を作成し、この問題を一般に広めると共に一緒に訪問した弁護士を中核に1991年に「熱帯雨林保護法律家リーグ」を立ち上げました。これは日本の弁護士として、訴訟とは関係なく、弁護士という資格を持つ一市民として、国際的な環境問題に取り組む弁護士が中心の組織を結成した初めてのケースだと思います。当時、私は45歳、弁護士になって13年目でした。

 また、1993年にブラジル環境サミットが開催されました。そこで当時のこの環境サミットに参加した日本国内の環境保護団体が中心となって「市民フォーラム2001」という団体が結成されました。私はその理事となり、市民団体の一員として国際環境問題に取り組みました。この市民フォーラム2001では、地球環境破壊の一因は「途上国における第一次産品の貿易問題」と考えて、「貿易と環境問題」というテーマで、経済学者や法学者、外務省、大蔵省のWTOの担当者などと、1年間、研究会を持ちました。

 しかしながら、その当時は、企業とNGOの意見の対立が激しく、なかなか解決の方向を見出すことができない状況がありました。

 国際的NGOは、多国籍企業や世界銀行のような開発金融機関について、その調達先・融資先での地域の環境破壊や村民の生活破壊が発生しているとして、悪の根源として非難の標的としていました。

 一方、企業の多くも、調達先・融資先での人権・環境問題を自分事とはとらえず、NGOの問題提起を疎ましく思っているようでした。実際、私たち「熱帯雨林保護法律家リーグ」の熱帯雨林の破壊に関する調査活動に関しても、関係する企業から非常に警戒され、地元警察に通報され、調査の妨害を受けたこともありました。

 今でこそ企業と市民社会は協働を行う機会が多いことが多いですが、私が「ビジネスと人権」に関する取組を始めた当時は、企業とNGO団体とが激しく対立している時代でした。



ーー熱帯雨林問題のほかに、日本企業が抱える人権問題について問題意識を持ち、行動する機会はありましたか?


 三重県の芦浜原子力発電所の設置計画に関して、1993年の市民フォーラム2001の発足記念のシンポジウムで、1964年に原発計画が決定されてから実に30年にわたって反対運動が続いていることを知りました。私は、このような事態が30年も続いていること自体が重大な人権侵害であると考え、人権侵害を告発できないかと地元を訪問しました。2回目の訪問の日、中部電力から漁協に2億円が渡され、組合が1年以内に環境調査の受け入れ決議をするなら返さなくてもよく、決議をしないなら返さなければならないという極めて不当な要求を組合が受け入れる決議をした日でした。

 私は、この決議は不当であると、漁業協同組合における業務検査請求の申立を提案して反対派の再結集を図りました。そして、会社の行為の不当性を明らかにしようと中部電力に対して株主代表訴訟を提訴しました。この訴訟では、証人尋問に、総責任者である代表取締役副社長を引き出して追及しました。訴訟は敗訴しましたが、この訴訟提起も一因となって、事業を進めるための大っぴらな不明朗な金銭の提供は止まりました。

 また、原発計画における最大の弱点は海洋調査であると唱える当時の東京水産大学の水口憲哉先生の講演を現地で開催しました。その後、中部電力から環境調査の申し入れがありましたが、受け入れの決議を決める組合総会が反対派の運動により流会となりました。その際に作成された協定書を元に投票条例の案を作成し、条例が制定されました。署名運動を開始する際も、私の地域での運動の経験から、署名の条項はわかりやすく単純にすることと目標を有権者の過半数を目標とすることをアドバイスしました。その結果、署名は三重県民の有権者の過半数を集めました。そして原発計画は2000年に白紙撤回されました。



ーー原発問題と共に、日本国内における女性に対する雇用差別の問題の解消について取り組まれたということを聞きましたが、教えていただけますか?

 

 女性の雇用差別について問題意識をもったのは、私が、自分の子どもを保育園に預けたことがきっかけです。

 この保育の現場では、企業に働く女性が、正社員とほとんど同じ時間働いていてもいつまでもパート社員のままで正社員にはなれない現実と、そしてパート社員と正社員とは賃金でも休暇やボーナスでの大幅な差別の実態を知りました。

 保育園に子どもを預けたことから保育の運動にも関わり、品川保育問題協議会(会長)、東京都保育問題協議会(会長代行)、全国保育団体連絡会(常任幹事)の役員となりました。保育の問題を取り組んだことで気付かされた女性問題との関わりは、人口の半分を占める女性の問題を解決するには、女性問題解決のためのNational Machinery(国内本部機構)の確立と女性の政治参画が重要ということを学びました。1995年北京世界女性会議が開催され、これに参加し、北京世界女性会議を契機に結成された北京JAC(Japan Accountability Caucus)という女性団体にも加わり、その役員となりました。そしてこの北京JACにおいて、女性問題解決のために女性の政治参画をすすめる運動にも関わりました。1999年に制定された男女共同参画基本法制定などの問題にも取り組み、基本法制定後に「男女共同参画推進条例の作り方」(ぎょうせい)(発行部数 5万部)を共著で発刊しました。



ーー市民の立場から企業に対し問題提起を行う活動を積極的に行っていたにもかかわらず、2000年前後になって、齊藤弁護士は、企業と協働して「企業の社会的責任」の問題として「ビジネスと人権」に取り組むようになったと聞きました。そのきっかけは何だったのでしょうか?


 1990年代、熱帯雨林問題、原発問題、女性問題など様々な人権にかかわる問題について、積極的に企業に対し問題提起を行ってきました。しかし、日本社会では、企業における「人権」問題というと「差別」問題であり、あまり触れたくない重たい問題であるという認識が一般的でした。熱帯雨林保護、女性問題などの個別課題を取り組んだり、企業に対し外部から問題提起を行うだけでは、企業の行動を変えることはなかなか難しく、限界も感じていました。

 そのような中で、2000年にコフィー・アナン国連事務総長が、企業に対し「人間の顔をしたグローバリゼーション」として社会的責任への取り組みを促し、国連グローバルコンパクトが発足しました。この中で、国際的には、「ビジネスと人権」というコンセプトで企業の社会的責任を促す議論がされ始めていることを知りました。この企業の社会的責任という方向性は、これまで私が行ってきた、企業を攻撃することで企業行動の改革を求めるというやり方から、企業自身に環境問題や人権侵害をしないように働きかけることで、企業の行動自身を環境の保護や男女平等の実現を図っていこうという、これまでの発想の転換を求めるという内容でした。

 企業が社会を支える存在としてその役割や責任を発揮することは、企業自身が社会や人々から支持されながら持続的にビジネスを行うためにも必要になっています。私自身も、企業に外部から問題提起を行うだけではなく、企業が人権尊重に取り組むための道筋を、日本企業の関係者の方々と一緒に考え、企業の内部から変わっていただくことを促進・支援することが問題解決の近道になるではないかと考えるに至りました。

 そして、このような取り組みによってこそ、日本国内の企業にとって重たい課題として受け止められることも多かった人権問題を、より広い国際人権の問題、グローバリゼーションの問題として積極的に推進できるのではないかと強い期待を持ちました。

 そこで、2002年11月、日弁連を通じて、「ビジネスと人権」をテーマとするシンポジウム「企業の行動基準と人権を考える」を開催しました。このシンポジウムの開催以降、私の後半生は、この「ビジネスと人権」をテーマとした活動一本に絞って行動しようと思い、その後の活動を続けて今日に至っています。



ーー今から20年近く前、指導原則が策定される10年近く前の2002年に「ビジネスと人権」に関するシンポジウムを開催することは、非常に先進的であったと思います。このシンポジウムは、どのような内容で、どのような取組につながっていったのでしょうか?


 基調報告では、人権を企業の行動基準として深めるためにとして、グローバルコンパクトやOECD、ILOなどをとりあげるとともに、企業との関連における弁護士の役割や新しい弁護士の企業法務の展開などを取り上げました。多数の企業関係者や企業に助言を行う弁護士にもよびかけて、ディスカッションも行いました。

 このシンポジウムを契機として、その後、日弁連においてCSRに関する取組が始まりました。私は、このビジネスと人権の取り組みを、弁護士における新たな業務への取り組みとして行いたいと思いました。そこで、2006年に日弁連に弁護士業務総合推進センターが発足した際に、そのセンターにビジネスと人権のプロジェクトチームを発足させることができました。最終的に、弁護士業務改革委員会に「CSRと内部統制に関するプロジェクトチーム」(CSRPT)が設置され、私が座長に就任しました。

 CSRPTは企業の行動基準に人権に組み込むという目標の下で、多くの企業法務の専門家の参加の下で、積極的に取組を行ってきました。

 2007年、CSRPTは、日弁連「企業の社会的責任に関するガイドライン」を内部統制、環境、労働、人権、公正は事業活動、社会貢献、消費者などの各テーマでまとめ、このガイドラインの発表をきっかけに日本CSR普及協会が発足しました。

 また、2010年、CSRPTは、日弁連「企業等不祥事における第三者委員会ガイドライン」のとりまとめも行いました。現在、企業の不祥事が起きたときには、ステークホルダーの信頼を拡幅するために、弁護士に依頼して第三者委員会でそれを検証することが当然という状況が生まれ、このガイドラインに準拠することが一般的になっています。



ーー齊藤弁護士は、早くから指導原則に着目し、日弁連で「人権デュー・ディリジェンスのためのガイダンス(手引)」のとりまとめを担当されました。ガイダンスを取りまとめた経緯を教えてください。


 私は「企業の社会的責任の問題」や「ビジネスと人権」に取り組んでいたものの、弁護士の役割としてはどのように企業の人権取組を促進・支援すればいいのかがはっきりしませんでした。

 最初に「人権デュー・ディリジェンス」という言葉をみつけたのは、ISO26000の中です。これこそが、ビジネスと人権というコンセプトの中で弁護士としての役割が果たせる分野と思いました。それで人権デュー・ディリジェンスについてのガイダンスをつくろうと思いました。それを検討している内にビジネスと人権の指導原則が2011年に人権理事会で採択され、これこそが一番重要な課題だということで、全体の内容を指導原則の解説版とすることとして、人権デュー・ディリジェンスのガイダンスとして作り込むことにしました。

 その際も、人権とは何かということをどのように表したらいいのか、また企業に人権デュー・ディリジェンスのやり方をどのように伝えるかを考えるのが難しかったので、検討の研究会のメンバーには、人権に関しては人権に関する民間団体の方、当時のアムネスティの若林秀樹氏とヒューライツ大阪の白石理氏、企業に関しては企業コンサルタントの笹本雄司郎氏に入ってもらって、一緒に議論をしました。これらの弁護士以外の方々との一緒の議論の上で前半部分が完成しました。ガイダンスの結論にも困っていました。そうしたところ、高橋大祐弁護士がNBLにCSR条項についての論文を発表されていたので、これだということで、最後に加わってもらって、完成を見たわけです。



ーー人権デュー・ディリジェンスについて、日本の企業や弁護士が特に注意すべきと思う点は何でしょうか?


 人権デュー・ディリジェンスを行う上で、日本において特に注意すべきは、日本では人権教育が極めて不十分だし、また包括的な差別禁止法もなく、国内人権機構もないということです。したがって、どのような場合が人権侵害であるのか、とりわけ国際人権とはどのような問題なのかについての理解が不十分であることをまず一番に自覚することが重要と思っております。

 人権侵害を防止・対応するためには、自社だけで判断するのではなく、ステークホルダーと十分に協議を行うことが非常に重要です。指導原則の18では人権への影響をどのように評価するかについて規定しています。この原則では、企業は、その活動を通じて、またはその取引関係の結果として関与することになるかもしれない、実際のまたは潜在的な人権への負の影響を特定し評価すべきとされています。このプロセスにおいて、専門知識の活用と共に、企業の規模及び事業の性質や状況にふさわしい形で潜在的に影響を受けるグループやその他の関連ステークホルダーとの有意義な協議を組み込むべきとされています。

 人権の問題は、その人権の侵害を受けている人々や現場が重要です。私自身も先ほど話したように、アジアの環境破壊の現場の村を訪問することにより、その人権侵害の現実を直接認識することができました。実際に知った事実は確信となって、私のその後の活動の原動力となりました。企業も、自ら進んで現場に行ったり、被害を受けているあるいは受けるであろう人々と直接の対話を行うことによって、どのような被害を受けているのかの現状を知ることができるし、その結果、その被害の解決の方向性を見つける手立てとなると思います。



ーー齊藤弁護士は、「ビジネスと人権」と並行して、「企業等不祥事における第三者委員会ガイドライン」の策定など企業のガバナンスの向上に向けた様々な活動もされています。このような活動と「ビジネスと人権」はどのような関わりがあるのでしょうか?


 日本の企業が不祥事を発生させた場合に、再び同じ不祥事を発生させないためには、第三者の眼でその不祥事を発生させた原因に切り込む必要があると思います。第三者委員会ガイドラインができたことで、企業はどのような調査をすれば、不祥事の再発を防ぐことができるかの方法を手に入れることができたと思います。

 私は、この第三者委員会ガイドラインが十分に機能するために、ガイドラインを作成するだけでなく、ガイドラインをつくったメンバーと第三者委員会報告書格付け委員会をつくり、企業が行った不祥事について第三者委員会が作成した調査報告書を評価することもしております。調査報告書を読むと、企業の不祥事の一番の原因はガバナンスの不全です。ガバナンスの不全は、結果的には企業の行動についてのチェックの甘さを通じて企業の行動における人権侵害にも結びついてきます。

 その意味で、不祥事を発生させないようにしようとする企業のガバナンスの構築の取り組みは、企業の人権デュー・ディリジェンスを通じて、ビジネスにおける人権侵害を発生させない取り組みにもつながっていると思います。


ーーこれまでの経験をふまえて、日本企業が「ビジネスと人権」を取り組む上でもっとも留意すべき点は何でしょうか?

 

 2020年に日本でも「ビジネスと人権に関する行動計画」が策定されました。これにより、企業にとっての人権の課題は、重要な課題となってくると思います。その際の課題として、行動計画において「横断的事項」としてあげられている、① 労働(ディーセント・ワークの促進等)、②子どもの権利の保護・促進、③新しい技術の発展に伴う人権、④消費者の権利・役割、⑤法の下の平等(障害者、女性、性的指向・性自認等)、⑥外国人材の受け入れ・共生の6つの課題は、今、日本において企業が取り組むべき優先的な人権課題であるとの認識を持つ必要があると思います。

 そして、企業がビジネスと人権に取り組むために最も留意されるべき点は、トップにおけるビジネスと人権に取り組む決意と意思です。それが、個々人の意識の問題に流れないようにするためには、それを企業のシステムに組み込む必要があります。そのためには、取締役の報酬に、ビジネスと人権への取り組みにインセンティブが働くような仕組みも導入する必要があると思います。

 もう一つ重要なのは、企業自身の持続可能性です。このビジネスと人権の取り組みを企業のビジネスモデルへの組み込みがなければ、企業のビジネスと人権への取り組みも長続きしません。企業が人権への取り組みをキチンとすればするほど、企業の業績が上がるような取り組みにしていくことが、もっとも留意されるべき点だと思います。



ーー日本で今企業の人権尊重を根付かせるために今後特に必要と考える政府の施策は何でしょうか?


 2020年10月に、日本でも、ビジネスと人権に関する行動計画が策定されました。政府自身において、ビジネスと人権に取り組む仕組みができたということは、30年前、熱帯雨林保護法律家リーグを結成して活動を始めた頃からみれば夢のようです。

 この行動計画の策定にあたっては、ステークホルダーである、経団連、連合、中小企業団体、市民団体と日弁連が共同して話し合う場がつくられ、一緒に共同提案もだすことができました。今後は、このステークホルダーの懇談会の役割を大事にしながら、行動計画の実施を広めると共に、行動計画の内容をより高い段階に引き上げていくことで、日本にビジネスと人権の課題を広めていくことが必要な取り組みと考えています。


インタビュー記事(2)「「ビジネスと人権ロイヤー」という生き方」を読む