弁護士 斎藤誠 弁護士 高橋大祐
2015年2月15日
Ⅰ はじめに
日本弁護士連合会は,2015年1月,「人権デュー・ディリジェンスのためのガイダンス(手引)」(以下「人権DDガイダンス」)を公表した。本ガイダンスは,日弁連弁護士業務改革委員会の「企業の社会的責任(CSR)と内部統制に関するプロジェクトチーム」(以下「CSRPT」)において2年をかけて策定し,日弁連における承認を経て公表したものである。2011年6月,ビジネスと人権に関する指導原則(以下「指導原則」)が,国連人権理事会において,全会一致で採択された。この指導原則は,企業に対し人権尊重責任を果たすことを要求しており,その一環として企業活動の人権への負の影響を評価した上これを軽減・対処するという,人権デュー・ディリジェンス(以下「人権DD」)を実施することを求めている。日弁連人権DDガイダンスは,このような指導原則に基づく人権DDを,日本企業や弁護士がコンプライアンス実務に組み込んで実践するための手法について具体的に解説したものである。
日本の企業法務では,「デュー・ディリジェンス」という用語は,主に企業買収に際して相手企業の価値・リスク等を調査・評価する作業の意味に使われる。そのため,人権DDを「国際規格に基づく第三者認証手続」の如くとらえる向きもあるが,それは誤りである。デュー・ディリジェンスの本来の意味は,「(負の影響を回避・軽減するために)その立場に相当な注意を払う行為又は努力」といった意味である。指導原則では,人権DDは,企業が人権侵害のリスクに関して相当な注意を払い,これを自社のリスクマネジメントシステムの中に組み入れ対処するプロセスという意味で使われ,これは「人権リスクに関する内部統制」とも解釈できる。
指導原則の採択に加え,近年の新興国におけるビジネスによる人権侵害の顕在化も相まって,「ビジネスと人権」及び人権DDは,新しい企業法務の分野として世界的にも急速に重要な課題となりつつある日本版コーポレートガバナンス・コードにおいても,基本原則2として「株主以外のステークホルダーとの適切な協働」が規定され,人権課題を含む社会・環境問題への適切な対処が要求されている。本論稿は,日本企業や弁護士がいかにして日弁連人権DDガイダンスを活用し「ビジネスと人権」の課題に対処するための内部統制システムを構築していけるかに関して,日弁連CSRPTにおいてガイダンスの策定に携わった弁護士の視点から,議論するものである。なお,本論稿の文責は筆者ら個人に帰するものであり,日弁連などの組織の意見を示すものではないことに留意されたい。
Ⅱ 日弁連人権DDガイダンスを活用する意義
指導原則には企業に対する法的拘束力はなく,また日弁連人権DDガイダンスも文字通り「ガイダンス」であり日本企業や弁護士を法的に拘束するものではない。そのため,そもそも何故日本企業や弁護士が「人権DDガイダンス」を活用することが有用なのかが問題となる。①何故日本企業が人権DDを実施する必要があるのか,②何故弁護士や法務部が人権DDに主体的に関与する必要があるのか,③何故日弁連がガイダンスを策定したのか,という3つの疑問に答える形で説明する。
1 ①何故日本企業が人権DDを実施する必要があるのか
指導原則には法的拘束力はないため,日本企業が指導原則に基づく人権DDを実施しなくとも,直ちに法的な処罰を受けるわけではない。しかし,2013年4月にバングラディッシュで発生した縫製工場崩落事故などを契機として,日本をはじめとする先進国企業によるサプライチェーンを通じた人権侵害への加担の問題が大きな国際問題となり,人権配慮に欠ける企業に対する法令違反・レピュテーショナルリスクが急速に高まっている。この点,指導原則は,国連人権理事会は全会一致で採択された国際基準であり,企業が人権配慮に向けた取組みを十分に行っているか否かを判断する物差しとして機能している。そのため,指導原則に基づき人権DDを実施することが,日本企業が人権侵害への加担を回避し,社会的信用を維持・向上するというリスクマネジメントの観点から極めて重要である。日本版コーポレートガバナンス・コードの補充原則2-3①においても,取締役会は,人権課題を含めた「サステナビリティー(持続可能性)を巡る課題への対応は重要なリスク管理の一部であると認識」すべきである旨規定されている。
なお,人権DDの実施は,グローバルな活動を行う大企業のみならず,国内・中小企業にとっても有用である。国内の中小企業も,取引先である大企業や海外企業から,後述するCSR条項などに基づき,取引条件として人権配慮に基づく取組みを要請され始めている。また,2020年にオリンピックが東京で開催されることが決定し日本国内市場への外資参入も加速化することも期待される中,今後ますます日本国内の人権配慮の取組みに対しても海外からの監視の目が強まることが予想される。そのため,国内・中小企業も,人権DDを行う必要が全くないということにはなり得ず,企業の規模や置かれている状況に適した人権DDの実施を検討することが望ましい。指導原則15も,企業が人権尊重責任を果たすためにその規模及び置かれている状況に適した方針及びプロセスを設けるべき旨規定している。
2 ②何故弁護士や法務部が人権DDに主体的に関与する必要があるのか
指導原則23は,企業の人権尊重責任を,国内法令の遵守義務の上位規範として位置付けた上で,人権侵害に対する対処を法令コンプライアンスの問題(Legal Compliance Issues)として扱うべき旨規定している。実際,人権侵害を伴う多くの問題は,国内関連法令の違反となる可能性がある。たとえ国内法令違反とならない場合であったとしても,企業が人権侵害を引き起こしたり,加担したりした場合には,厳しい社会的・国際的な批判を受ける危険性がある。
そのため,企業の法務部は,「ビジネスと人権」を重要なコンプライアンス項目の一つとらえ,人権DDに主体的に関与する必要がある。また,企業に対し法令コンプライアンスに関して助言を行う弁護士も,企業に対し,「ビジネスと人権」や人権DDに関して積極的にアドバイスすることが依頼者である企業の利益になる。加えて,弁護士は,基本的人権の擁護を社会的使命としており(弁護士法1条),企業活動による人権侵害を防止・緩和するための法的助言を行うことが,弁護士倫理上も望ましいことは言うまでもない。
3 ③何故日弁連がガイダンスを策定したのか
指導原則には各原則について解説も加えられており,その遵守に関しては個別の日本企業や弁護士の取組みに委ねれば十分なのではないかと思われる。
しかし,指導原則12は,企業が尊重すべき人権の内容として,「国際的に認められた人権」を基準としているところ,日本と海外とでは人権に関する認識に関して大きなギャップがある。日本は批准していない国際人権条約が存在し,また国家人権機構のような人権救済機関も存在しない。また,日本国内では企業の人権課題は,専ら差別やセクハラ・パワハラなどの狭い概念として認識されがちである。一方,国際的には企業の人権課題は,環境問題・労働問題・消費者問題・サプライチェーン管理なども含んだ格段に広い概念として認識されている。そのため,個別の対応に委ねていては,指導原則の内容が十分に理解されない可能性がある。
一方,各国において国内関連法令,コンプライアンス実務,及び人権課題の内容に大きな違いがあることを踏まえると,日本特有の実務や課題を踏まえた工夫を共有していくことも指導原則を効果的に実践するために有益である。
このように指導原則の正確な理解を促すと共に,日本特有の実務や課題を踏まえた指導原則の実践を促進するために,弁護士の団体である日弁連が人権DDガイダンスを策定した次第である。
ただし,本ガイダンスは,弁護士のみで独自に策定したものではない。日弁連CSRPTでは,ガイダンスの正確性を担保すると共に日本企業にとっても利用しやすいものとなるように,人権の課題に取り組んできたNGOと協働して意見交換のための会議を重ね,さらに作成した素案についてグローバル・コンパクト・ジャパン・ネットワークに加盟する多数の日本企業やジェトロ・アジア経済研究所「新興国市場におけるビジネスと人権」研究会等の関係者とも対話を行って完成させたものである。
Ⅲ 日弁連人権DDガイダンスのポイントと活用方法
日弁連DDガイダンスは,人権DDの手法を日本企業や弁護士がコンプライアンス実務に組み込むための手引を,以下のとおり,5つの章を通じて具体的に解説している。
1 第1章 指導原則の採択と企業の人権尊重の必要性
第1章においては,指導原則が国際連合人権理事会で採択された意義及び指導原則が規定する企業の人権尊重責任の概要を解説している。その上で,企業が指導原則に基づいて人権尊重のための取組を行う必要性・重要性が高まっていること,とりわけサプライチェーン全体における人権・CSR配慮の必要性が高まっていることに関して,具体的に説明している。
2 第2章 企業の人権尊重責任と法令遵守
第2章においては,企業が人権尊重責任を法令遵守の問題として扱うための具体的な方法を解説している。まず,指導原則に基づき企業が尊重すべき国際的に認められた人権基準とはどのようなものかを明らかにした上で,企業はいかなる優先順位に従い,いかなる人権ルールを尊重していく必要があるのかを説明している。その上で,どのような見方をすれば企業活動が抱える人権課題を抽出でき影響評価を進めやすくなるのか,その考え方の枠組みも示している。
3 第3章 人権デュー・ディリジェンスへの実践的助言
第3章においては,人権DDへの実践的な助言を提供している。企業が人権の課題を事業活動に組み入れるため,事業マネジメントと人権配慮との統合はどのようにすればいいのか,指導原則の三つの主要な構成要素にしたがって実施のステップや推進上のポイントはいかなるものか,具体的な事例やQ&Aを含めて明らかにしている。
4 第4章 企業の人権尊重責任の実践例
第4章においては,企業の人権尊重責任の実践例を解説している。まず,サプライチェーンに関する企業の人権配慮の取組の事例を紹介している。それと共に,各当事者グループに焦点をあてた企業の人権尊重責任の具体化の例として,女性のエンパワーメント原則及び子どもの権利とビジネス原則を解説した上,これらの原則に関する企業の実践例を紹介している。
5 第5章 サプライヤー契約におけるCSR条項の導入
日弁連人権DDガイダンスは,その独自の特徴として,第5章においてサプライヤー契約における「CSR条項」に関しそのモデル条項を提唱すると共に,その法的論点に関して解説している。CSR条項とは,サプライヤーとの契約などにおいてサプライヤーなどの取引先に対しCSR行動規範の遵守や人権DDの実施の義務を負わせる条項である。
Ⅳ 結びに―「ビジネスと人権」に関する法務の発展に向けて
本稿では,日弁連の人権DDガイダンスの活用を通じた「ビジネスと人権」に対する実務対応策に関して議論した。ガイダンスの活用を通じて,日本企業や弁護士の「ビジネスと人権」に対するプラクティスがさらに発展していくことを筆者らは切に願うものである。
(日弁連人権DDガイダンスの活用方法の詳細は,齊藤誠=高橋大祐「日弁連「人権デュー・ディリジェンスのためのガイダンス」をいかに活用するか―New Business Lawとしての「ビジネスと人権」に対する実務対応策」(NBL1044号,2015年)を参照されたい。)
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