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「ビジネスと人権に関する 国連指導原則」の法的性質



吾郷 眞一 

 立命館大学衣笠総合研究機構教授・国際平和ミュージアム館長 


1.指導原則成立の経緯

 古くは70年代から80年代にかけて国連経済社会理事会のもとで多国籍企業に関する行動要綱が審議されたことがあるが、それは主として経済的側面に焦点があてられたもので、人権とのかかわりで国連が企業(多国籍企業)を対象にして行動を起こしたのは2000年のグローバルコンパクトが初めである。そして2003年「多国籍企業及びその他の企業に関する規範」と呼ばれるものが人権委員会の専門家からなる作業部会によって起草されて、一気に前進したかに見えた。本質的には、これは、国家に課されている人権保障義務と同じものを直接に企業に課そうとするものであった。この提案は、経済界と多くの政府から完全に拒否され人権委員会もこの提案を葬り去ってしまった。その代わりに、委員会は、新たな取組みとして、2005 年に、「人権と多国籍企業及びその他の企業の問題」に関する事務総長特別代表という役職の設置を決め、事務総長にそのための特別代表の任命を要請した。事務総長特別代表になったのがハーバード大学ケネディー行政学大学院J.ラギー教授であった。


2.枠組みの設定

 特別代表の仕事は、段階的に進められた。まず、企業によって人権が侵害されるという訴えのパターンの分類;国際人権法及び国際刑事法の進化しつつある基準;国家と企業により生じつつある慣行;ビジネスに関連する人権侵害に関する国家の義務に関する国際連合の人権条約機関の働き;投資協定、会社法、及び証券規制法が国家及び企業の人権政策・方針に及ぼす影響、をそれぞれ詳細に検討していくことから始まった。2007 年には、理事会は特別代表の職務権限をさらに1 年更新し、提案を出すよう特別代表に求めた。(その間2006 年、人権委員会に代わって総会のもとに人権理事会が設置された。)2008 年6 月、特別代表は3 年間の調査研究と協議を経て到達した「保護、尊重及び救済」枠組を提案した。人権理事会は、この提案を決議A/HRC/RES/8/7(18 June 2008)で「歓迎」した。

 この枠組は3本の柱に支えられている。第一は、しかるべき政策、規制、及び司法作用を通して、企業を含む第三者による人権侵害から個人を保護するという国家の義務である。 第二は、人権を尊重するという企業の責任である。これは、企業が他者の権利を侵害することを回避するために、また企業が絡んだ人権侵害状況に対処するためにデューディリジェンスをもって行動すべきであることを意味する。第三は、人権侵害を受けた個人が、司法的、非司法的を問わず、実効的な救済の手段にもっと容易にアクセスできるようにする必要があるということである。

 この枠組は、人権理事会にとどまらず、各国政府、企業と業界団体、市民社会そして労働者組織、国内人権機関、投資家に支持され、採用されてきた、とラギーは言っている。それは、国際標準化機構や経済協力開発機構などの多国間機関がビジネスと人権の分野でそれぞれの取組みを進める際にも利用されてきたし、枠組固有の有用性とは別に、特別代表によってその任務遂行のために招集された数多くの、そして多様な参加者によるステークホルダー協議が、この枠組に対する幅広い支持の背景であるという。

 2008年の決議 8/7 で、「保護、尊重及び救済」枠組を歓迎した人権理事会はまた、特別代表の職務権限を3年延長し、枠組を「運用できるようにする」こと、すなわち、枠組の実施のための具体的かつ実行可能な勧告を出すことを求めた。これに基づいて2011年3月に特別代表が提出したのが国連指導原則 “Guiding Principles on Business and Human Rights: Implementing the United Nations “Protect, Respect and Remedy” Framework” (A/HRC/17/31)である。


3.指導原則

 合計31の節からなるこの文書は、当然ながら枠組みを構成する3要素「保護、尊重及び救済」の部に大きく分かれ、それぞれの部についてさらに基盤原則と実施原則に分けて記述されている。

たとえば「人権を保護する国家の義務」の部では、基盤原則として2つの義務が提示された後、実施原則として4つのカテゴリーの施策が提示され、「企業の人権尊重責任」の部では4つの責任が提示された後、実施原則の中でやはり4つのカテゴリーに細分化された施策が提示されている。「救済へのアクセス」の部では基盤原則はひとつであるが、4つのカテゴリーの実施原則が提示されている。という具合である。それぞれの原則の後には解説が加えられている。

 この指導原則はその名の通り国と企業をガイドする目的で策定されたものであるが、その法的性質は不明なところが多い。それにもかかわらず、人権理事会はこの原則を決議17/4で裏書(endorse)し、実施のための作業部会設置を決定した。

 この作業部会は2012年1月に初会合をもった。人権理事会から作業部会に与えられた任務は「指導原則を効果的・総合的に広めることおよび実施することを促進すること」であり、そのために各種の調査をすること、年に2回世界各地でセミナーを開催すること、毎年12月にジュネーブでマルチステークホルダー会議を主催すること、などである。

 作業部会の第2報告(2013年 A/HRC/23/32)によると、2012年のマルチステークホルダーフォーラムには80か国から1000人以上の参加があった。(2013年は100か国から1500人)また、同報告によれば毎月30通ほどの指導原則に関する問い合わせが来るという。


4.課題

(1)指導原則の法的性格

 形式的には人権理事会の決議(HRCは総会の下部機関)であり、それ自体としてはいわゆる勧告的性質しか持たない。(その意味では失敗した「多国籍企業人権規範」が予定していた成果物と同じ。)いわゆるソフトロー。

 しかし、非拘束的な決議も適切なフォローアップがなされるならば法的重要性を高めることになる。そして、その一部は適当な実行の反復と法的信念が加われば慣習法に昇華することもありうる。

 この指導原則をendorseしたこの決議(17/4)にはフォローアップが予定されているだろうか?

(i) 決議17/4のうちの拘束的である部分

 Para.6、Para.9、Paras.11-18では、その命題の宛先が人権理事会であったり事務局長であったりするのでそれらは完全に拘束的である。だれも作業部会設置は無効であると主張することはできない。この部分については、その実施についてフォローアップを必要としない。直接的に効果がある。

(ii) 非拘束的な部分

 Para.1 Para.7 Para.8 Para.10については、いわゆる勧告的効力しかないので、それらが法的に意味あるものになるかどうかは、事後のフォローアップの積み重ねを待つしかない。そのフォローアップは主として前記Para.6以降の拘束力ある部分(作業部会の設置とその稼働)によって実現される。


(2)フォローアップは指導原則すべての部分について可能か

 指導原則I,IIIとIIとは性格が違うので、フォローアップは同じ結果(遠い将来の慣習法成立)をもたらさないのではないか、という疑問が生じる。IとIIIはいずれも国に対して向けられた勧告だから、それについての実行が積み重なれば、慣習法の要素の一つを満たしうる。事実いくつかの国によって勧告に従う実行を見出すことができる。英国とオランダは2013年に、イタリアとデンマークは2014年に指導原則の実施に向けた国内計画(政策)を打ち立てたと言われている。

 しかしIIは企業に向けられているので、いかに実行が積み重なろうと国家実行にはならない。とはいえ、国ばかりでなく、国内人権委員会にも企業と人権をその守備範囲に入れる方向性が打ち立てたところが散見され、いくつか企業ですら指導原則を盛り込む企業政策を打ち出したところもある。また、やはり非国家主体であるISOもそのISO26000においてかなり指導原則を取り込んでいる。ここに国際法秩序にとっての非国家主体の意味を議論しなくてはならなくなる要因がある。


(3)国際人権法適用の適切性

 指導原則は広範な支持を受けて成立したと言われているが、批判も多数あった。そのうちの一つが、果たして実定国際法が国家の多国籍企業人権遵守確保義務を規定しているかということである。ただ、国家に企業の人権規範遵守確保義務が一般的に存在しないからこそ、エクアドル政府は、指導原則ではなく条約としてこの文書のIとIIIの部分を採択すべきであると2013年に提言しているとも考えられる。


(この記事は、2014年7月24日開催の九州CSR協会主催の講演会における筆者の報告内容を編集したものである。)

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