弁護士 蔵元左近 弁護士 高橋大祐
2018年11月26日
2018年11月20日の世界子どもの日に、日本ユニセフ協会とユニセフ(国連児童基金)は、スポーツにおける子どもの権利尊重の指針として「子どもの権利とスポーツの原則」(以下「CRSP」)を発表した。CRSPは、子どもが直面するスポーツ環境を改善するために役立つことが期待されていると共に、日本における「ビジネスと人権に関する国連指導原則」(以下「UNGP」))の実践・普及にも貢献することが期待される。CRSPの起草委員会の委員として策定に関わった筆者らの体験を踏まえ、論述する。
なお、本論稿は、筆者ら個人の文責に基づくものであり、ユニセフや「子どもの権利とスポーツ原則」起草委員会などの組織としての意見を表すものではないことに留意されたい。
1 CRSPとは何か
CRSPは、2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けて、スポーツが持つ社会的影響力が大きく注目される中、スポーツが真に子どもの健全な成長を支え、スポーツにおける子どもの権利の尊重と推進を図ることができるように、多様な関係者が協力して取り組むための原則として中心となって発足したイニシアティブである。
CRSPに基づき、スポーツ団体とスポーツに関わる教育機関(以下「スポーツ団体等」)、スポーツ指導者、スポンサー企業・組織(以下「スポンサー企業等」)、成人アスリート、子どもの保護者は、それぞれの立場に応じ、以下の10原則の実施を目標として取り組むことが要請されている。
スポーツ団体とスポーツに関わる教育機関、スポーツ指導者に期待されること
1.子どもの権利の尊重と推進にコミットする
2.スポーツを通じた子どものバランスのとれた成長に配慮する
3.子どもをスポーツに関係したリスクから保護する
4.子どもの健康を守る
5.子どもの権利を守るためのガバナンス体制を整備する
6.子どもに関わるおとなの理解とエンゲージメント(対話)を促進する
スポーツ団体等を支援する企業・組織に期待されること
7.スポーツ団体等への支援の意思決定において、子どもの権利を組み込む
8.支援先のスポーツ団体等に対して働きかけを行う
成人アスリートに期待されること
9.関係者への働きかけと対話を行う
子どもの保護者に期待されること
10. スポーツを通じた子どもの健全な成長をサポートする
2 スポーツ団体等におけるUNGPの実践を具体化
2011年に国連人権理事会で全会一致で承認されたUNGPは、企業に人権尊重責任があることを確認した上で、その責任を果たす一環として、人権に対する負の影響を評価し、対処するという「人権デュー・ディリジェンス」(以下「人権DD」)を要求している 。
CRSP原則1~6の対象であるスポーツ団体等は、近年、スポーツの商業化やメガスポーツイベントなどを通じて、子どもの権利を含む人権に対して負の影響を与える可能性があることが認識されており、人権尊重責任を果たすことが期待されている。
実際、スポーツ団体等においてもUNGPに基づく人権尊重の取組を推進する動きが生じている。国際サッカー連盟(FIFA)は、FIFA規則において人権尊重へのコミットメントを表明すると共に人権方針を発表した。国際オリンピック委員会(IOC)も、今後自らが主催する競技大会について、開催都市・開催国となるためには指導原則を遵守することを条件とすることを発表した。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会も、2018年、「持続可能性に配慮した運営計画 第二版」において、UNGPに則り大会の準備・運営を行うことを宣言した。
CRSP原則1~6が、スポーツ団体等に対し、子どもの権利の尊重にコミットを求めた上、子どもの権利の侵害を防止するための様々な具体的な取組やそのためのガバナンス体制の整備を要請している点は、子どもの権利に焦点を当てた人権DDの実践の一環と考えることができる。
3 スポンサー企業等におけるUNGPの実践も具体化
UNGPは、企業に対し、人権DDの内容として、間接的に人権への負の影響を及ぼしていないか否かについても確認するように求めている。そして、企業が直接人権侵害を引き起こしていなくとも、取引関係を有する組織が人権侵害を引き起こしている場合は、当該組織に対し、影響力を行使し、是正を行うように働きかけることを要請している。
この点、CRSP原則7、8が、スポンサー企業等に対し、スポーツ団体等への支援の意思決定において子どもの権利を組み込むことや支援先のスポーツ団体等に対して働きかけを行うことを要請していることは、まさにUNGPにおける人権DDの実践の一環としての影響力の行使にあたる。
4 積極的な子どもの権利の支援の可能性も提示
ユニセフは、2012年に、国連グローバルコンパクトやセーブ・ザ・チルドレンと共同して、UNGPを補完する原則として、「子どもの権利とビジネス原則」(以下「CRBP」)を発表している。CRBPは、企業・団体が子どもの権利を尊重・推進するための10の原則を定めているところ、その特徴は、子どもの権利侵害のリスクへの対処のみならず、子どもの権利を積極的に推進するビジネスの役割を強調していることにある。
CRSPも、スポーツ団体等が子どもの権利侵害のリスクへの対処する必要があることのみならず、スポーツが子どもの健全な成長を支え、子どもの権利を積極的に推進する役割を果たすことができる可能性も提示している。
5 身近な問題から「ビジネスと人権」に向き合う契機に
2018年は、スポーツ団体等による子どもの権利に関わる不祥事が重なり、子どもが置かれているスポーツ環境の改善の必要性に関する意識が急速に高まった。このような絶妙なタイミングで本原則が発表されたことや、ユニセフ関係者やスポーツ法に取り組む法律家・専門家の尽力もあり、CRSPの支持・賛同の輪は大きく広がった。スポーツ庁から支持を受けると共に、2018年10月時点での賛同団体は、日本の主要なスポーツ団体、教育関連機関、経済団体[1]に及んでいる。
CRSPが「ビジネスと人権」の観点から重要な意義を有するのは、同原則が我々ないし我々の子どもの多くが何らかの形で経験を有しているスポーツ教室や部活動への参加という身近な問題を扱っているという、「手触り感」である。スポーツ団体等、スポンサー企業等がそれぞれの立場に応じて、子どもの権利の尊重のために何をすべきか、また何ができるかについて、我々が自身の実体験をふまえて理解し、共感できる内容となっている。一方、「ビジネスと人権」の課題は、越境する企業活動や重層的なサプライチェーンの末端で生じる問題も多く、例えば日本国内の外国人技能実習生や新興国の労働者の立場を理解し、共感して、問題の本質を把握するのに想像力を働かせなければならないことも多い。まず、CRSPを通じて、指導原則が求める人権DDや苦情解決制度とは何か、なぜ必要なのかを腹に落とす作業を行うことが、「ビジネスと人権」課題の真の理解のためにも有益であろう。
6 CRSPの普及・実施に向けて―「ビジネスと人権」の観点からの工夫
CRSPは法的な拘束力を有するものではないため、その実効性を確保するためには、スポーツ団体等によるCRSP実施に向けた取組を促進するための仕組みをいかに構築できるかが重要である。
CRSPは、このような仕組み構築の一助として、「ビジネスと人権」分野における実務や教訓も活用している。CRSPは、スポーツ団体等のみならず、これを取り巻くスポンサー企業等、成人アスリート、保護者も原則の主体として位置づけ、これらの関係者がスポーツ団体等に対しCSRPを実施するように働きかけを行うことを要請している。その結果、スポーツ団体等は他の関係者からもCRSP実施を要請されることになり、CRSP実施に向けて内発的な動機付けと共に外発的な動機付けが生じることが期待される。このような仕組みは、UNGPがサプライチェーンやインベストメントチェーンを通じた働きかけにより、人権尊重を促している点と類似している。
以上のようなスポーツ団体等とスポーツ団体等のステークホルダーによるCRSPの実施に向けた協働と建設的な対話を促すとともに、CRSP実施状況の透明性を向上する観点から、CRSPの発表と共に、CRSPアセスメントツールが併せて発表された。スポーツ団体等がCRSPアセスメントツールの質問事項に回答することにより、子どもの権利侵害の潜在的なリスクが分類されると共に、各原則の実施状況を点数により把握できるようになっている。これは、「ビジネスと人権」における人権リスクのアセスメントツールを参考にしたものである。
また、CRSPアセスメントツール解説では、スポーツ団体等とスポーツ団体等の間のスポンサー契約に挿入できる「子どもの権利尊重条項」モデル条項も示されている。これは、「ビジネスと人権」におけるサプライヤー契約中の「CSR条項」を参考にしたものである。このように、CRSPの普及・実施に向けて、「ビジネスと人権」の観点からの工夫が施されている。
スポーツにおける子どもの権利尊重のために、CRSPが、以上のようなツールを活用しつつ、多様な関係者が協力して取り組むための原則としての普及・実施が進んでいくことを心から願う次第である。
[1]日本スポーツ協会、日本障がい者スポーツ協会、日本パラリンピック委員会、日本オリンピック委員会、日本スポーツ振興センター、全国高等学校体育連盟、日本中学校体育連盟、全国高等学校長協会、全日本中学校長会、全国連合小学校長会、日本経済団体連合会、株式会社アシックス(順不同)
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